ぼっけえ笠岡


西の浜・倉庫群


2002.12.31





 西の浜は、私が幼少の時に育った場所である。
私の本籍地は、西の浜である。
 生まれてから小学校4年生までは川辺屋町だったが、父と母は西の浜で鉄工所を経営していた。
 学校から帰るとカバンを置いてすぐに西の浜の鉄工所に行った。
 鉄工所の隣は、祖父と祖母がいた。また叔父・叔母に従姉妹もいた。
 私の育った西の浜には様々な想い出がつまっている。
 この度、西の浜の倉庫群を中心に、西の浜の郷愁をまとめてみた。

 亡くなった叔父が所有している倉庫である。
 今では、レンガ造りの倉庫は、西の浜でもここだけとなった。
 倉庫の中は、商工会議所等に賃貸借している。
 数年前に屋根瓦を張り替えたし、まだまだ使える倉庫である。
 レンガ造りの倉庫の隣にある白壁の倉庫である。
 これも亡くなった叔父が所有している倉庫である。
 かなり古くなってはいるが、改修をしながら大事に使っている。
 上の写真2枚と右の写真は同一の倉庫である。
 前川製材さんの倉庫で、中は区切られており賃貸借している。
 お寺の倉庫・芸術家のアトリエ・被服倉庫と利用方法は様々である。
 外壁と屋根は数年前に改修している。
 中は、高床で天井も高い。
 外観より倉庫内部はしっかりとしている。
 木造の倉庫の温かさを感じる事ができる。

中国物産さんの倉庫
平成14年5月にこの周辺の一部が解体された。

前川製材さんの別の倉庫
井笠鉄道本社ビルの裏側にある。

 前川製材さんの、もう1つの倉庫の隣に神社がある。
 朝庫稲荷神社といい、「あさくら」と読む。
 西の浜の神社は、ここが1つだけである。
 干拓地である西の浜だが、この神社の角にはかつての井戸がある。
 ここの夏祭りは笠岡の神社の中でも1番早い日だったと記憶している。
 かつての夏祭りでは、この神社の前に夜店が並んで多くの西の浜の住民がお参りしていた。
 井笠鉄道さんの本社ビルとロータリー跨線橋の間にあるので、現在はわかりにくい場所となった。


 西の浜北児童公園という看板があるが、通称「交通公園」と呼んでいる。
 交通公園は、もと日本道路公団理事の立神弘洋氏夫妻が交通事故て゜亡くなられを悼み、交通安全を願うその遺族の寄金をもとに昭和43年に設けられた。
 その交通公園に旧井笠鉄道の客車が展示してある。
 この客車と同じものが、北海道丸瀬布町の森林公園で現役で走っている。
 丸瀬布町の町長や議員が何度か笠岡へ訪れたし、私も一度、丸瀬布町を訪ねたことがある。
 2年ほど前、丸瀬布町の議員が来られるのに、あまりにも管理が悪く、急遽、塗装をお願いしたので今はきれいである。

 笠岡渡船の看板が立っている建物である。
 私が子供の頃は、このあたりは石炭山がいくつもあった。
 港からクレーンで石炭を降ろして、仮置きしていたのだ。
 この石炭山で遊んでいると、顔まで真っ黒になってよく親に叱られた記憶が蘇る。
 子供の頃、水上警察と呼んでいた場所である。
 私は、小学校低学年の時にここで溺れた事がある。
 友人と船から船へ飛び移って遊んでいて不幸がおとずれた。
 幸いに水上警察の方が、救ってくれたので現在の私がある。
 海の怖さを思い知った。 
 木造の建物が駒口商店さんで、レンガ造りの建物が関藤商店さんの事務所である。
 駒口商店さんの前には、現在もなつかしい赤いポストがある。
 
 昔の石の灯台である。
 私が子供の頃は、既に使われていなくて、この沖に白灯台があった。
 この白灯台は現在、干拓によって陸地になり、太陽の広場のシンポル的な存在である。
 子供の頃、この石灯台でよくハゼ釣りをしたものである。
 この建物は井笠鉄道さんの関藤社長さんの生家である。
 現在は、社長さんのお母様がお一人て住まれている。
 私が子供の頃は、この建物が一番沖にあった。
 別荘風の立派な建物である。
 この建物の角に、以前は石碑があったと記憶している。現在は木枠で囲ってある場所だった。
 関藤さんの洋風の建物である。
 洋風の建物と倉庫群が情緒を感じさせる。

 岡山県製粉製麺工業協同組合の事務所である。
 3年前までは、この事務所に隣接して、立派なL字型の木造倉庫があった。
 西の浜にある木造の倉庫では一番立派だった。
 その倉庫の保存をいろいろ模索した。
 その年の12月定例会で倉庫の保存を一般質問したが、調査のみして戴いて、取り壊された。
 大変残念な思いで一杯であった。
 せめて事務所棟だけは保存ができればと内々で交渉を続けた。
 組合さんにはいろいろな考え方があったが、幸い理事長さんに理解を戴き、平成15年3月末には笠岡市へ寄贈戴く見通しとなった。
 
 岡山県製粉製麺工業協同組合は、明治時代に設立され100年以上の歴史がある。
 備中一円の素麺を組合で管理して、「松の雪」というブランドで今でも素麺を出荷している。
 この事務所は昭和5年に建設されたという。
 建設当時は、玄関の屋根が大空に向かって鋭角にそびえていた。
 屋根の改修や、建物の一部改修をしているが、随所に木造建設の温かさを感じさせる。
 
 この「松乃雪」という看板と2階にあった額の中身が3月末に盗難。
 心当たりの方は申し出て欲しい。





 事務所1階は、応接室と事務所、和室、トイレがある。
 事務所は板張りで、郷愁を感じさせる。
 古い大きな金庫に、丸テープルと理事長の机が、かつての旺盛を感じることができる。
 1階の和室である。
 かつて映画「獄門島」の撮影で西の浜が舞台となったシーンがあった。
 その時に、この和室が控室として利用されたという。
 階段の下にある物置の中に、投票箱が2つあった。
 かつて組合の理事長選挙に使われたものだと思われる。
 2階は、総会や理事会を開催したという大きな会議室と2つの小さな会議室がある。
 大会議室は、昔の小学校の小さな講堂のようである。
 ここからの笠岡港の眺望は抜群である。
 上の写真は2階の廊下である。

 左の写真は2階の小会議室の内部である。


平成15年3月31日をもって岡山県製粉製麺工業組合の事務所を笠岡市に寄贈した。

平成15年4月1日から、笠岡市の普通財産となる。
そして建物と土地すべてを笠岡市からNPO法人・子ども劇場笠岡センターに貸した。
NPO法人・子ども劇場笠岡センターは、手作りで改装し平成15年5月31日(土)には、移転パーティーを開催予定。

NPO法人・子ども劇場笠岡センター・新事務所に5月14日訪ねてみた。