個 人 質 問 原 稿 全 文
平成14年3月11日
笠岡ふれあい空港について
笠岡ふれあい空港に関しては、過去何度も質問させて戴きました。
そうした中、多面的な活用に関しては、3月・4月・5月・11月・12月の平日の火曜日・木曜日の遊覧飛行の実施、子供の日遊覧飛行、夏休み子供航空教室、敬老の日遊覧飛行、またこのお正月の空から初詣など、いろいろな実績を積み重ねていると思います。
しかし、本来の農作物の輸送とか、格納庫・駐車場・自家用機の離発着等の問題は、なかなか前進していないように感じております。
笠岡には、「海の港」と「空の港」と2つの港、美しい瀬戸内海国立公園、これらを存分に活かした施策が必要だと思います。
そうした中、笠岡ふれあい空港のより、より有効な利用を願って質問させて戴きたいと存じます。
@農作物の輸送の現状と今後についてお尋ね致します。
A多面的な活用の現状と今後についてお尋ね致します。
B遊覧飛行を、土・日・祝日にできないかお尋ね致します。
C格納庫・駐車場・自家用機の離発着の見通しについてお尋ね致します。
Dふれあい空港のイベントと他のイベントとの集約は考えていないのかお尋ね致します
市街化区域・市街化調整区域の線引きについて
市街化区域・市街化調整区域の線引きの問題に関しまして、昨年平成13年3月定例会で誠信クラブを代表して質問をさせて戴きました。
そして、市長は線引き問題について以下のように答弁されました。
「都市計画線引きの解除については、振興計画あるいは土地利用計画の面で、笠岡市にとりまして重大な施策変更を伴うものであり、種々の問題点も把握しながら、また岡山県の都市計画全体への影響などもあり、今後この問題につきまして庁内のプロジェクトチーム等で、これらの都市計画における問題点も調査検討しながら、方向を見定めてまいりたい。その中でハードル、問題点も整理しながら見えてくるのではないかと思っている。」
その答弁のように、庁内プロジェクトチームが、いろいろな角度から検討を進められたと伺っております。
また、議会でも、「都市計画勉強会」を今までに3回開催し、いろいろな角度から勉強して参りました。その節には建設産業部の都市計画課・建築課・農政水産課には講師として、大変お世話になりました事を、この場をお借りして御礼申し上げたいと存じます。
私も、勉強会の世話人として、いろいろな角度から勉強して参りましたし、先月には、全国で唯一、線引き廃止を行った宮崎県都城市を誠信クラブにおいて、行政視察致しました。
また、4月に予定しております勉強会では、人口規模・線引き問題等、笠岡と同じような環境で、線引き廃止に向けて積極的に行動を起こしている香川県坂出市の取り組みを現地で勉強する予定に致しております。
一連の勉強により、線引き問題に関して、私なりにいろいろな課題・問題点がいくらかは整理ができたのではないかと思っております。
ここで、実際に線引きを廃止した都城市の経過を教訓に、その問題点と課題を整理してみました。
執行部でも都城市の視察をされていらっしゃるわけですし、私にとりまして、この実例は大いに参考になりました。
視察に行きまして、最初に挨拶された市議会議長から、線引き廃止で都城市が元気になったと言われました。
ただ担当した都市計画課は大変な苦労があったそうです。そうした苦労を乗り越えて、とにかくいろいろな課題を残したものの、全国で始めて「線引き廃止」を実現させたわけです。
特に当時は、国の許可が必要だったわけですから、その苦労は容易に想像できると思います。
とにかく都城市の線引き廃止は、「やればできる。」という事実を証明したわけです。
国が作った法律も、人が作った法律です。法の網があるから、できないとあきらめては何もできないはずです。
「地域の実情に合った見直し」を勝ち取った貴重な実例に大変勇気付けられて帰って参りました。
全国で都市計画の線引き解除したのは、都城市だけという事で、全国各地から行政視察に来られるという事です。
まず、線引きを廃止した背景ですが、線引き制度の創設に伴い、都城市では昭和45年11月27日に市街化区域及び市街化調整区域の区域区分を決定し、合併編入した旧町村のほとんど全域を市街化調整区域に位置付けました。
市街化調整区域では、住宅の建築や企業立地などの開発行為が著しく規制され、過疎化・高齢化の進行と相まって、この地域の活性化を阻害する大きな要因と見なされるようになり、しだいに住民の不満が蓄積して参りました。このような中、住民の陳情や線引き廃止に関する議会質問が相次ぎ、昭和63年4月22日に均衡のとれた地域振興を図るため、線引き制度を廃止致しました。
市街化調整区域において土地利用の制限を受けていた住民からは特に歓迎されました。そして、線引きの廃止後においても線引きの役割だった乱開発の防止についてはある程度ルールを守って行なわれ、地域社会が保たれたことからも不満はなく住民は大変満足しているようです。
廃止後の地価動向ですが、線引き廃止後の地価の動向については用途地域の周辺部において一部地価の上昇が見られましたが、長期的には落ち着いてるそうです。また、全体的な地価の動向については、地価調査基準地の標準価格の推移をみると住宅地においてはほとんど変動がないという事です。商業地においてもほとんど変動がないそうですが、平成2年に5%以上のプラス変動となり、その後マイナス変動となっているという事で、これは全国的傾向であると分析されておりました。
建築確認申請の推移ですが、廃止前は、市街化区域において増加していましたが、廃止に伴い減少傾向に転じたという事です。
反面、用途地域外は微増傾向が相当数増加したそうです。廃止前は、年間7対3の割合で市街化区域が多かったものが、ほぼ半分程度になったそうです。
次に税収についてですが、旧市街化区域の農地は、宅地並課税から一般農地並課税としたので、一時的には下がったのですが、旧市街化調整区域の農地が宅地となった部分に建物が建設される事によって、建物の固定資産税が伸びるという事で、全体的には順調に推移しているそうです。
次に、新築住宅の建築確認申請件数は、昭和62年までの5年間は毎年1,000件前後だったのが、昭和63年以降平成8年までは、1,200件を上回る水準で推移しているという事です。
ここ数年は落ち着きをみせているものの、農業振興地域を除いては、旧市街化調整区域でも住宅建築ができるようになったことを受けて、建築が活発化しているという事です。
人口については、線引きを廃止した前後の6年間は減少を続けていましたが、平成3年以降、大学誘致により学生が増えたことや民間企業の進出などに伴い増加に転じ、平成2年の130,153人から平成10年には133,367人と、約3,200人が増えたそうです。特に旧市街化区域の周辺に位置する地域では,昭和63年から平成9年までの増加率が50%を越えるところもあり、30〜40代の世帯を中心に増加したという事です。
最近は、全国的な高齢化による微減となっていますが、現在、宮崎県内では延岡市の人口を追い越し、宮崎市に次ぐ県内で2番目の人口となっています。
現在の状況は、旧市街化区域の周辺部で人口が増加しており、また、建築確認申請も旧市街化区域と旧市街化調整区域とは半々の状況となっていることから当初期待していた効果が現われているという事です。
線引き廃止後の数年間は経済状態も良く、市街化調整区域に位置したところも住宅建設が進み人口も増加しましたが、それに伴い都市基盤整備(道路・学校・公園等)が後追い行政となり、非効率的な投資がかさんだという事です。
また農住混在により水質汚濁等環境問題のトラブルが増加したという問題も生じていますが、こうしたデメリットを差し引いても人口増などによる街の活性化につながったという事です。
都城市の線引き廃止の反省点として、あまりにも「はずす事」に主眼をおきすぎたという事で、ある程度「きまり」を織り込む必要があったと言われておりました。
また、つい先日、福島大学・教育学部の住居学研究室の阿部成治教授から、私のホームページの掲示板に書き込みがありました。私の都城市の行政視察報告書を検索で探され、内容を読まれての書き込みでした。
阿部教授は福島大学の前に都城高専に勤務されていて、都城市が線引きを廃止した当時の都城市都市計画審議会のメンバーでした。その後、線引き廃止後の約10年後に調査に行かれたそうです。
阿部教授の分析は、私たちが視察に伺って聞いた話しとは違う厳しい分析です。
線引き廃止後に、旧調整区域の一部では、若年人口が減少に転じた部分があります。また、都市計画区域外のある地区においては、高齢化のスピードが速まったという調査をされております。
そうした分析を元に阿部教授のホームページには「線引きとスプロール」という提言を述べられております。
その後、2回の書き込みを戴きまして、私に対して、都合がいい情報を集めるだけでなく、都合の悪い情報にも眼をつぶらずに政治を進めるようにすべきである。また始めに「線引きの有無」があるのではなく、街をどう発展させるかが先で、「そのために最も都合のいい手法は何だろう」という事を考える必要があると忠告を戴きました。
そもそも線引きは、都市が無秩序に拡大していくスプロールを防ぐのが目的でした。
線引きを廃止しても、旧調整区域にきめ細かな市街化区域としての設定が考えられるわけですが、実行するにはいろいろな障害があると言われております。それより有望なのが地区計画の策定だとおっしゃられております。
地域性を考慮し、住民意見を十分に反映し、長期的展望にたった土地利用計画の検討が必要だと思います。
都城市の先進事例を視察し、また阿部教授の忠告を伺って、私の考えを整理してみました。
私の結論として、線引きの見直しは必要だと思います。なぜならば30年前と現在では時代が大きく変化しております。
30年前の都市計画が、これからの時代に即しているとは思えません。現在の線引き制度を見直し、土地利用計画を検討したマスタープランを作成しなければならないと思います。
その中で、都城市の反省点で挙げられているような、ただ「はずす事」に主眼をおくのではなくて、私たちの子孫に残していかなければならない魅力ある計画的な街づくりを作るための「ルール」「しばり」が必要だと思います。
線引き廃止後の旧調整区域が都城市のように「しばり」がないのは無秩序な開発の恐れがあります。旧調整区域に対して、どういう「ルール」「しばり」を持っていくかが重要な課題となります。
例えば、農住混在による水質汚濁等環境問題も、下水道が5年以内に整備されない地区での建築に対しては、合併浄化槽を義務付けるような、事前のルール作りも必要だと思います。
次に固定資産税に関してですが、市街化区域の農地が、宅地並課税から一般農地課税となり、一時的に税収の落ち込みが予想されるものの、旧調整区域内の宅地が増えて、建物の建設が進めば、税収の増は次第に期待できるはずです。
但し、都市計画税については、今まで約30年間払ってきた市街化区域の方々との差をどのようにするのかを検討しなければならないと思います。
都城市では、旧市街化区域には都市計画税を課税していますが、旧市街化調整区域には都市計画税を課税していません。そして、旧市街化調整区域は用途地域の指定もなく、旧市街化区域より建築しやすい条件となっていて矛盾を感じたわけです。
この問題について都城市民からの不平がないというので大変驚きました。
考え方とすれば用途地域は旧市街化区域であり、優先的に快適な街づくりを推進していく地区であるという事です。
都城市は旧市街化区域の飛び地がなかったのですが、笠岡では、神島外浦地区の市街化区域の飛び地があります。
笠岡においては、都市計画税に関しては、特に慎重に議論する必要があると思います。
また笠岡市の白地、いわゆる高島以南の島ですが、これらの地区における国立公園としての自然公園法の規制も、自民党において緩和を検討していると仄聞しているのですが、実情に即した見直しが必要ではないでしょうか。
また、農業振興地域の問題についても、現在の地域の実情に合わせて再検討するべきだと思います。
そして、阿部教授のおっしゃられているように、始めに「線引きの有無」があるのではなく、私たちの子孫のために、街をどう発展させるかが先で、「そのために最も都合のいい手法は何だろう」という原点から考える必要があると思います。
本市においても、市長公約の線引きの見直しが、プロジェクトチームの調査検討によりスタート致しました。
「都城市の事例を参考にし、また反省すべき点は反省し、全国でも模範になるようなマスタープラン策定をするんだ。」という強い気持ちで取り組んで戴きたいと存じます。
それでは、質問に移ります。
@プロジェクトチームの調査検討の状況と、今後の取り組みについてお尋ね致します。
A市町村合併が議論されている中、区域区分のある本市と区域区分のない周辺の自治体との、都市計画の整合性が必要だと思います。市町村合併と都市計画の関係をどのように考えているのかお尋ね致します。
サティ笠岡店閉鎖による笠岡ベイシティ構想の影響について
サティ笠岡店の5月末閉鎖について、現状では行政としても明確な事は何も言えない事は承知致しております。
しかし市民はサティ閉鎖に関して、大変関心を持っております。
このサティ笠岡店は、住吉港・伏越港の一部を埋め立て、周辺市街地と連携した新しい市街地を駅南地区に整備する、笠岡ベイシティ構想の整備地区内にあるわけです。
平成13年3月定例会の柴田議員さん、また私も質問したわけですが、笠岡ベイシティ構想は、財政的な問題で先送りしているものの、笠岡市の将来にとって大変な重要な事業であり、長期的な構想として道筋をつけていくと答弁されております。
そうした大変重要な事業である「笠岡ベイシティ構想」が、サティ笠岡店の閉鎖により、影響が生じてくるのかどうかお尋ね致します。
|